世の中には何でもケチをつけたがる人がいます。とてつもなくやっかいではないのですが、目の前をちょろちょろするハエのようにうっとうしいです。学校や職場だけでなく家族の中にもいたりします。最近ではSNSでも見かけます。放っておくとパワハラにまでなることもあります。
記事ではこういった人たちとはどんな人なのか考えてみたいです。
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近くに潜んでいる小鬼
ケチをつけてくる人は身近にいることが多いです。それは学校や職場の場合もありますし、家族の場合もあります。SNS等では反対に全然知らない人の場合が多いです。トピックの関連性がそのものが、その人にとって身近のものの事が多いです。
つまり共通する部分は、本人にとってとても身近な存在、話題であることですね。
本当は自信がない
こういった人たちは自分に自信がないことがほとんどです。
否定というのはものすごい力を持っています。それを投げかけられたものはちょっとした気後れを感じてしまいます。否定する側からすれば簡単に優位に立てるのです。
相手に対して優位性を保ちたいという感情があるというのは、自信のなさの表れです。明らかに自分のほうが優位であれば、そもそも相手を押さえつけようとはしません。
子供に対して本気で喧嘩する大人がいないのと同じです。
だからケチをつけてきたりして相手を否定しにかかってくる人は、どうにかして自分の方が上であることを表明したいのです。
本質は嫉妬
なぜ優位に立ちたいのでしょうか?
それは相手のことが気になって仕方がないからです。その理由は、自分が欲しているものを相手が持っている場合があります。また、自分が持っていても相手が持っているものが気が気でない場合もあります。
そうするとこういう人たちの根底にあるのは「嫉妬」だということがわかってきます。自分にないものや欲しかったものを手にしている人を見たときの反応です。
特に若い人に対しては「未来の可能性」というのがあります。未来へ投資できる時間がたくさんある人への嫉妬ですね。
よくこの手の人に、
「アナタのためを思って言っている」
という人がいますが、大嘘です(笑)。自分のことしか考えていません。自分が優位に立つための発言や行動なのです。それはせっかく伸びてきている芽に対して新しい栄養のある水を与えるのではなく、塩水をかけるようなものです。
ほんとうに相手のためなのなら、その人のためになるように伝えるべきです。
本質的に嫉妬から発している行動なので、相手が自信をなくすことを目的にしています。それは自分自身の優位性を保つためです。最もやっかいなのは、本人自信がそのことに気づかず本気で相手のためと思っているところなのです。
こういう人は嫉妬や悪意など持っていないと妙な確信を持っています。本来、自分には自信がないくせに、その行動には変な確信を持っているのでとてもやっかいです。
誤った認識
ここで、
「いや、ちょっと待ってくれ!」という人もいるかもしれません。
先達が若い人に対して社会の現実を知るために心を鬼にして厳しく当たっている場合もあるではないか!スポーツ競技のコーチが暴言を吐いて選手の士気を高めることもあるではないか!
今の自分があるのはあのときの...という話をよく聞くではないか!
ハッキリ言います。そんなものに効果はありません。それどころか、思いどおりの結果を出せなかった人が「ケチをつける人」になって新たなパワハラを生む原因にもなります。
社会の厳しい現実なんて放って置いても経験することですし、どうしても避けることは出来ません。そんなことは自分自信で対処すべき問題です。わざわざ安全な場所で教えることではありません。逆に人によってはそれがトラウマになることもあります。
映画「セッション」を見られた方はあれをどうお感じなったでしょうか?
この映画は、プロのドラマーを目指す学生に教師が鬼のような態度をとる、「それが究極の愛」であるかのように宣伝されて話題になった映画です。追い詰められた生徒が最後には究極の演奏するというストーリーです。映画のストーリーですので多少の誇張もありますが、ほとんどパワハラです。
あれを見てあの教師の態度が「愛」であると感じられた人は危険です。
当初、私はこの映画が大嫌いでした。実際私もよく似た経験を日本で学生時代にしました。こういった行為を肯定する映画ととらえていました。しかし後からこの教師にフォーカスしてみると、本質が見えてきました。
この鬼教師は学校では権力を振るっているものの、実際、ジャズミュージシャンとしては、小規模なナイトクラブで演奏するピアニスト。そして過去のジャズへのオマージュのようなものをこの人物自らが語ります。
この教師もまた、なりたい自分になれなかった人だったのです。
私自身、数十年前に渡米して音楽を学びました。そのときにジャズの全盛期を経験していた教師が今の状況を嘆いていました。アメリカでミュージックビジネスの観点から見るとジャズは瀕死の状態です。ジャズの芸術性を否定するものではないのですが、大衆離れが進んでいます。
つまりこのパワハラ教師は、芸術に背を向ける大衆に怒りを発していたのです。なりたい自分になれないのは世間が馬鹿だからと思っています(いえいえ、アナタが馬鹿なのですよ)。
そうして本来の自分自身の表現世界を奪っているのは世間であり音楽業界であると盲信しています。そのために未来に羽ばたこうとする若い芽に自分の怒りをぶつけているのです。
その証拠に学校では鬼のような態度をとっていた教師も、自分が演奏するナイトクラブでは温厚な好人物です。ここで調子に乗っていると演奏の場を失う、ということくらいは計算できています。
映画興業のマーケティング戦略を考えると、あれを「究極の愛」とするほうがわかりやすいですが、本質を捕らえていません。パワハラ講師にも「人生が思いどおりにならない」哀しみみたいなものを感じました。
映画を見て曲解する馬鹿なパワハラ音楽講師が出ないことを祈ります。
どうすればいい?
実際このように人たちに対して、どのように接していけばいいでしょうか。
対処法はありません
残念ながらこのような人たちを改心させる、効果的な対処法はありません。なぜなら人の性格は変えられないからです。その上とんでもなく鈍感な人が多いですから、何を言っても相手を怒らせるだけです。
いずれにしても身近にいることが多い相手なので、何か策を講じることでさらに自分自身のストレスが増加することになります。
現実問題、適当に相手をしていくしかありません。
ただ前述したように、こういう人たちは「心の弱い人」なので、その部分をこちらが認識していれば気持ちの上でゆとりが持てたりします。
- 何がこの人の「嫉妬」を引き出しているのだろう?
- この人は何に「自信」がないのだろう?
相手を見下すことをせず、相手の気持ちにフォーカスしてみます。相手がこちらに絡んでくる原因は、彼ら自身の弱い部分を肯定するための他者の否定でもあることが多いです。そう考えることで相手に少し歩みよることが出来ます。
相手を変えることは難しいですが、自分の視点を変えることなら出来そうです。
このような人たちから学ぶこと
もし対処法が特にないのであるなら、このような人たちから学べることはあるでしょうか?
あります♡
それは自分自身の中にも、このような人たちと同じ感情が潜んでいるということを思い起こすことです。そして知らず知らずのうちに、同じようなことをしていないかを考えることです。
正直、私自身にもそういった感情がわき起こってくることがあります。
自分が努力しても手に入れることが出来ないものをいとも簡単に手に入れている人を目にしたとき。たいして実力がないのに世間から評価されている人を見たとき。そういった人たちが自分の考えている基準に合致しないときにケチをつけたい感情がわき起こります。
しかし、自分自身を客観的に見たときに恥ずかしいと思えるようになります。
- 簡単に手に入るまで見えないところで努力していた
- 世間から評価されるのはマネジメントスキルが高い
- そもそもの自分の基準を考え直す
そうすることで自分自身のモヤモヤした感情を手放すことが出来ます。こういったものを抱えながら生きていくのは実際しんどいものなのです。
だから、ケチをつけたがる人たちに出くわしたときには、余計な重い荷物を抱えながら生きている人だなぁ...しんどいやろなー...と思いながら、自分自身のチェックリストとして機能してもらうことにしています。
この記事を書いた人
[Music Freaks]
日々、ピアノを弾くことで生計を立てています。アコーディオンも弾きます。そしてひたすら音楽製作してます。人の多い場所と鈍感な人、苦手です。音楽と共に生きてくことは愉しい、すべての人がそう思えるような世界を考えていきたいです。
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